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2017上半期を振り返り

昨日久々にブログをアップして

この勢いついでに少し書こうと思います。

 

なかなかブログは腰を据えないとかけないのですよね。

 

2017年、私の上半期は私の中で私の「種」を発見した事でした。

「種」があることさえ知らず、半世紀近くも人生をやってきて、ここにきて

何故このタイミングで「種」を知ったのか。

 

それは自分と向き合えたから。

 

今までも向き合うと言うことは何度もあったと思う。

それは、自分を一個人として向き合っていたに過ぎない。

 

何を言っているんでしょう。笑。

多分理解できる人も多いのではと思います。

 

この折角見つけた「種」をどのように膨らませ、芽を出し、どこに向かって伸びていくのか。

私の人生はこれからなんだなぁと思います。

ここまで半世紀!

まぁ、今までの自分があっての今ですからね。

とりあえず辿り着けて良かったと思う事にします。

 

ちなみに無宗教者ですのでご安心を。

 

話は変わりますが、先日FBでたまたま見た投稿がとても印象的でした。

 

誰かを信じ話しをし、自分の意図しないところでそれが一人歩きして、

それにより傷つき、でもその人を責めることはできない、話した自分が悪かったのだと自分を責める。

それが普通だと思われ、自分もそうだと思う、だけど本来はそれが普通になってはいけない事なのだ。

 

コピペして取っておいた訳ではないので、その人の言い回しはもっとわかりやすく、

もっと私の胸を打つものでした。

因みにその人は僧侶(尼)でした。

 

私も自分の中でそのようにして折り合いをつけていた。

そう、信じ、話した自分が悪いのだ。

話した相手に悪気はなかったのだから、話した私が悪いんだ。

 

だけど、私は信じた。その人を信じ、そして傷ついた。

この事実から目は背けられない。

その人を責める気持ちもない。

でも自分が悪いという折り合いをつけて

自分を納得させるのはやめよう。

 

普段から、私は人に相談しない。

自分の中で解決する。

そのためたまにした事がそうなるとショックで、やはり自分しか信頼できないという結論に落ちる。

 

今は誰かを信じる信じないではなく、

もう二度と大切な事は話さない、ではなく、

自分の中の「種」をいい方向に育てられれば

自分の危機にも今よりもう少し上手く、楽に自分を持って行ける相手や自分が自ずとそこに現れる

のではないかと思う。

今までもそんな事は色々とあったけど、これからはもっと迷いなくできる、気がするし

そうなるように自分をもって行かねばと思う。

 

2017.8.8 私信